はじめまして。歯科医師の田島美和と申します。1995年から約20年間、予防歯科を専門とするクリニックを営み、現在はフリーランスライターとして「専門用語を使わない歯の話」を発信しています。

「歳だから仕方ない」「もう手遅れかも」──長年、患者さんたちから何度も聞いてきた言葉です。でも、私はいつもこうお伝えしていました。「歯の健康に、手遅れはありません。今日から始めれば、必ず変わります」と。

50代・60代で自分の歯に不安を感じている方、毎日歯磨きはしているのになかなか結果が出ないという方、あるいは「8020運動」という言葉を耳にしたことはあるけど詳しくは知らないという方。この記事は、そんなあなたのために書きました。

80歳になっても20本の歯を残すためには、特別な治療も高価なアイテムも必要ありません。毎日の生活習慣を少しだけ見直すこと。それだけで、ゴールに大きく近づくことができます。今日からすぐに始められる「4つの生活習慣」を、元歯科医師の視点からわかりやすくお伝えします。

「8020運動」とは?──「おいしく食べる老後」のための数値目標

「8020(ハチ・マル・ニイ・マル)運動」とは、「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という国民運動です。1989年(平成元年)に厚生省(現・厚生労働省)と日本歯科医師会が提唱し、現在も推進されています。「生涯、自分の歯で食べる楽しみを味わえるように」という願いを込めて始まったこの運動は、今年で36年を迎えます。詳しくは日本歯科医師会の公式ページでも確認できます。

「20本」にはちゃんと根拠がある

なぜ「20本」なのか、疑問に思いませんか?これには明確な科学的根拠があります。

親知らずを除いた永久歯の本数は28本です。そのうち20本以上の歯が残っていれば、ほとんどの食べ物をしっかりと噛み砕くことができることが、複数の疫学調査で明らかになっています。硬いものでもほぼ満足に噛める──この「20本」というラインは、おいしく・楽しく食事を続けるために必要な最低限の本数なのです。

食べることは、生きる意欲につながります。よく噛んで食べることで消化吸収がよくなり、脳への刺激にもなる。20本という目標は、単なる数字の話ではなく、「最後まで自分の力で食事を楽しめる人生」への具体的な道標なのです。

最新データが示す”今の現実”

厚生労働省が発表した「令和4年歯科疾患実態調査」によると、2022年時点での8020達成率は51.6%。1989年の運動開始当初はわずか7%程度だったことを考えると、大きな進歩です。2人に1人以上がこの目標を達成している時代になりました。

一方で、もう一つの現実も直視しなければなりません。歯周ポケットが4mm以上ある人の割合(やや進行した歯周病の目安)は、全体で47.9%。65〜74歳では56.2%と過半数を超えています。「8020を達成した人が半数いる」裏側では、「まだ半数近くが歯周病リスクを抱えたまま」という厳しい現実もあるのです。

年代歯周ポケット(4mm以上)を有する割合
15〜24歳約20%
35〜44歳約43%
55〜64歳約51%
65〜74歳56.2%
75歳以上56.0%

出典:令和4年歯科疾患実態調査(厚生労働省)

この数字を見ると、「自分もそのうちの一人かもしれない」と不安になる方もいるかもしれません。でも、大切なのはここからです。今日から行動することで、数字は必ず変えられます。

歯を失う最大の原因は「歯周病」──静かに進む沈黙の病

歯を失う原因の第1位は「歯周病」です。虫歯を思い浮かべる方も多いのですが、実は成人の歯の喪失において、歯周病は虫歯をはるかに上回ります。

歯周病とは、歯と歯茎の境目にある「歯周ポケット」に細菌が入り込み、歯茎や歯を支える顎の骨(歯槽骨)を少しずつ溶かしていく病気です。初期はほとんど痛みがなく、気づいたときには骨がかなり溶けていた──というケースを、私はクリニックで何度も目にしてきました。

歯周病が恐ろしいのは、その静かな進行ぶりにあります。出血やぐらつきが出るころにはすでに中等度以上に進んでいることも多く、”沈黙の疾患”と呼ばれるほどです。

歯周病が招く全身への深刻な影響

「歯のことだから、口の中だけの問題でしょ?」──そう思っている方に、ぜひ知っていただきたい事実があります。歯周病は、口の中にとどまらず、全身の健康に深刻な影響を与えることが研究で明らかになっています。

特に注目されているのが、糖尿病との相互関係です。国立国際医療研究センター糖尿病情報センターによると、歯周病があると血糖コントロールが難しくなり、逆に糖尿病があると歯周病が悪化しやすくなる「双方向の関係」があることがわかっています。実際に歯周病治療によって血糖値の指標(HbA1c)が改善したという研究結果も複数あり、2型糖尿病の診療ガイドラインでは歯周病治療が「推奨グレードA」とされています。詳しくは糖尿病情報センターのページで確認できます。

さらに近年は、認知症(特にアルツハイマー型)との関連も注目されています。国立長寿医療研究センターの研究では、慢性歯周炎のある人はない人に比べて認知機能が低下しており、台湾での大規模追跡調査では慢性歯周炎のある人のアルツハイマー病発症リスクが1.7倍高かったと報告されています。

  • 心筋梗塞・脳梗塞のリスク上昇
  • 誤嚥性肺炎(特に高齢者)
  • 早産・低体重児出産
  • 認知症の発症・進行との関連
  • 糖尿病の悪化

歯周病は、口だけの問題ではありません。全身の健康を守るためにも、歯茎のケアは欠かせないのです。

今からでも間に合う!8020を叶える4つの生活習慣

「歯の健康に、遅すぎることはない」というのが、長年の臨床経験から私が確信していることです。ここからは、科学的根拠のある「4つの生活習慣」を具体的にご紹介します。

習慣①:毎晩の丁寧な歯磨き+歯間ケアを”セット”にする

「歯磨きなんて毎日しているよ」という方に、少し驚く事実をお伝えします。歯ブラシによるブラッシングだけでは、口腔内の歯垢(プラーク)を約35%以上取り除けないという研究結果があります。歯と歯の間は、歯ブラシの毛先が届きにくく、この部分に虫歯や歯周病が発生しやすいのです。

だからこそ大切なのが、デンタルフロスや歯間ブラシとのセット使いです。歯間ブラシやフロスを併用することで、歯ブラシのみと比較して歯垢除去率が約40%向上するというデータもあります。毎日続けることで、歯周病の進行を大幅に抑えることができます。

効果的な歯磨き習慣のポイントをまとめると、

  • 就寝前の歯磨きを1日の締めくくりにする(細菌は寝ている間に増殖しやすい)
  • 歯ブラシは小さめのヘッド、毛の硬さは「ふつう〜やわらかめ」を選ぶ
  • 歯と歯茎の境目に毛先を当て、小刻みに動かす(1〜2本ずつ丁寧に)
  • 仕上げにデンタルフロスまたは歯間ブラシを使い、歯の間をしっかりケアする

ひとつ補足をすると、デンタルフロスは「1日1回」で十分です。歯垢がバイオフィルム(有害な細菌の集合体)として成熟するまでに約24時間かかるため、毎晩1回リセットすることが最も効果的とされています。続けることが何より大切なので、完璧を求めすぎず、「毎晩フロスを使う」という習慣から始めてみてください。

習慣②:タバコをやめる──最大5倍以上という歯周病リスクの現実

喫煙が歯周病のリスクを高めることは、科学的に明確に証明されています。

日本臨床歯周病学会の報告によれば、1日10本以上喫煙している人では、歯周病リスクが非喫煙者の5.4倍になるとされています。10年以上吸い続けた場合でも4.3倍。また、喫煙者は歯周病治療の効果が出にくく、治癒も遅れることがわかっています。

なぜタバコが歯に悪いのか。ニコチンによる血管収縮で歯茎への血流が低下し、酸素や栄養が届かなくなります。さらに免疫機能も低下するため、細菌への抵抗力が落ちる。タールは歯周病菌の温床となる歯石をつきやすくする。これらが重なって、歯周病が急速に進行してしまうのです。

「でも、もう何十年も吸っているから今さら……」という方にも、希望があります。禁煙してから1年後には歯の喪失リスクが低下しはじめ、10年以上経過すると非喫煙者とほぼ同じレベルまで回復するという研究データがあります。禁煙後わずか2週間で歯茎の血流が回復するという報告もあります。

始める年齢に、遅すぎることはありません。禁煙外来や医療機関のサポートを活用しながら、まずは一歩を踏み出してみてください。

習慣③:3〜6か月ごとにかかりつけ歯科でプロケアを受ける

「痛くなってから歯医者に行く」から「痛くなる前に歯医者に行く」──この発想の転換が、8020達成者と非達成者の最大の違いの一つだと感じています。

どんなに丁寧に磨いても、自分ではどうしても取れない汚れがあります。歯石がその代表例で、いったん固まってしまうと歯ブラシでは除去できません。歯石を放置すると歯周病菌の温床となり、ジワジワと歯を支える骨を溶かしていきます。

厚生労働省のデータでは、定期的に歯石除去を受けた群と受けなかった群を5年間追跡すると、1人あたりの平均喪失歯数に約4倍近い差があったと報告されています(0.37歯 vs 1.39歯)。定期検診の効果は、数字が証明しています。

理想的な受診頻度の目安は、

口腔内の状態推奨される受診頻度
状態が安定している方3〜6か月に1回
歯周病のリスクが高い方1〜3か月に1回
歯周病治療中・治療後の方1〜2か月に1回

令和4年歯科疾患実態調査によると、過去1年間に歯科検診を受診した人の割合は全体の58%でした。特に働き盛りの年代(男性)では受診率が5割未満にとどまっており、忙しさにかまけて後回しにしてしまっている実態があります。

「予防のために歯医者へ行く」という習慣は、長期的に見ると医療費の節約にもつながります。放置して大きな治療が必要になるよりも、こまめなメンテナンスの方がずっとコスパがよい。ぜひ、「かかりつけ歯科医」を持つことを強くおすすめします。

習慣④:食事と生活習慣を整えて、歯を守る土台をつくる

歯の健康は、毎日の食事や生活習慣と切り離して考えることができません。最後の習慣として、歯を守るための「土台づくり」についてお伝えします。

食事の面では、砂糖の摂りすぎに注意することが基本です。砂糖は口の中の細菌のエサになり、歯垢(プラーク)が増殖する原因になります。甘いものを食べること自体は問題ありませんが、ダラダラと食べ続ける「だらだら食い」は控えましょう。食後はできるだけ早めに歯を磨く、またはうがいをするだけでも違います。

また、カルシウムやビタミンCを意識した食事も大切です。カルシウムは歯や骨の材料となり、ビタミンCは歯茎の健康を守るコラーゲンの生成を助けます。乳製品、小魚、緑黄色野菜などをバランスよく取り入れることで、歯の土台を強くすることができます。

生活習慣で気をつけてほしいのが、ストレスと睡眠不足です。ストレスが蓄積されると免疫力が低下し、歯周病菌への抵抗力が弱まります。また、睡眠不足は唾液の分泌量を減らします。唾液は口の中を洗浄し、細菌の増殖を抑える大切な働きをしているため、唾液が少ないと虫歯・歯周病リスクが高まります。

日常生活で意識したいポイントをまとめると、

  • 間食はなるべく回数を減らし、食べたら口をすすぐ
  • カルシウム豊富な食品(乳製品・小魚・緑黄色野菜)を意識的にとる
  • 質の良い睡眠を確保し、唾液分泌を保つ
  • ストレスを適度に発散させる習慣を持つ
  • 飲酒のしすぎも歯周病リスクを高めるため、節度ある飲酒を心がける

この4つ目の習慣は、特別な何かをするというより「歯のことを日々の暮らしの中で意識し続けること」に尽きます。体の健康と歯の健康は、根っこでつながっているのです。

「今からでも間に合う」という言葉を、信じてほしい

私が診療室で出会ってきた患者さんの中に、60代を過ぎてから予防歯科に目覚め、80代になっても20本以上の歯を保っている方が何人もいます。反対に、若い頃から歯磨きを怠り、50代で次々と歯を失ってしまった方も見てきました。

歯の健康は、「若いうちだけ」の話ではありません。むしろ、40代・50代・60代こそ、これからの数十年を左右する大切な分岐点です。今日からたった一つの習慣を変えるだけで、10年後、20年後の口の中は大きく変わります。

「もう遅い」と思わないでほしい。あなたの歯は、今日からのあなたの行動が守ってくれます。

まとめ

「8020運動」は、80歳で20本以上の自分の歯を残すことを目標とした、厚生労働省と日本歯科医師会が1989年に提唱した国民運動です。最新の令和4年調査では達成率が51.6%に達した一方、歯周病のリスクを抱える人も依然として多い状況です。

今回ご紹介した4つの生活習慣を振り返ると、

  • 毎晩の歯磨き+フロス・歯間ブラシによる歯間ケアをセットにする
  • 喫煙者は禁煙に取り組む(歯周病リスクが最大5倍以上)
  • 3〜6か月ごとにかかりつけ歯科でプロケア・定期検診を受ける
  • 食事・睡眠・ストレス管理など生活習慣全体を整える

どれも、特別な知識や大きなお金は必要ありません。大切なのは「続けること」です。今日の小さな一歩が、80歳の笑顔を作ります。まずは今夜の歯磨きから、ほんの少しだけ丁寧にやってみてください。