入れ歯安定剤を、毎日欠かさず使っていませんか。
このまま続けて大丈夫なのかと気になりながら、外れるのが怖くてやめられない方は多いものです。

歯科医師の田島美和です。
先にお答えすると、毎日使うこと自体が禁じられているわけではありません。
ただ、使わないと外れない入れ歯は、たいてい合っていません。
毎日使ってよい場面と危ない場面、そして合わない入れ歯が出しているサインを順にお話しします。

入れ歯安定剤は毎日使っていいのか

安定剤は治療ではなく、あくまで補助です

入れ歯安定剤は、入れ歯と歯ぐきのわずかなすき間を埋めて、外れにくくするための製品です。
歯ぐきの形そのものを治すものではありません。
ここを取り違えると、合わない入れ歯を安定剤で押さえ込んだまま何年も過ごすことになります。

日本補綴歯科学会がまとめた診療の指針でも、安定剤は歯科医師の管理のもとで短期間使うことが望ましいとされています。
禁止ではなく、使い方に条件がつく、という位置づけだとお考えください。

毎日使っても大きな問題になりにくい場面

新しい入れ歯に慣れるまでの数週間や、人前で話す予定がある日、旅行や外食のときだけ使う。
こうした使い方であれば、毎日になっても心配しすぎることはありません。
歯ぐきの土手がもともと平らで吸着しにくい方や、お薬の影響で口が乾きやすい方も、歯科医師と相談したうえで日常的に使うことがあります。

「毎日」が危険信号に変わるとき

一方で、次のような使い方をしている場合は、入れ歯そのものを見直す時期が来ています。

  • 使う量が以前より明らかに増えている
  • 塗らないと食事どころか会話もできない
  • 痛いところにだけ厚く盛って、その場をしのいでいる
  • 一日に何度も塗り直している

私が開業していたころ、朝と昼と夜の三回塗り直しているとおっしゃる方がいらっしゃいました。
入れ歯をお預かりして中を見ると、歯ぐきに当たる面が原形をとどめないほど固まった安定剤で覆われていました。
ご本人は「これで安定しているから大丈夫」と思っていらしたのですが、実際には入れ歯が浮いた状態で固定されていたのです。

タイプによって「毎日」の意味が変わります

粘着タイプ(クリーム・粉末・シート)

薬局でいちばん多く並んでいるのが、この粘着タイプです。
唾液を含んで粘りが出て、入れ歯を歯ぐきに接着させます。
膜が薄いので噛み合わせへの影響が比較的小さく、毎日使う場合でもこちらが選ばれます。

粉末は薄く広がるため入れ歯が動きにくく、クリームは少量でしっかりつきます。
シートは量の加減がいらないので、手先の細かい作業が難しくなってきた方には扱いやすいはずです。

クッションタイプ(ホームリライナー)

弾力のある素材で、入れ歯と歯ぐきのすき間を物理的に埋めるのがクッションタイプです。
外れにくさは飛び抜けていますが、そのぶん厚みが出ます。
厚みが出るということは、上下の歯が当たる位置が変わるということです。

このタイプの長期連用は、歯科の現場ではっきり避けるよう伝えられています。
すき間が埋まってしまうため入れ歯が合っていないことに気づけず、その間も骨は痩せ続けます。
数か月ぶりに来院された方の入れ歯を外したら、歯ぐきの土手が見違えるほど平らになっていた、ということが実際に起こります。

上の入れ歯と下の入れ歯では、外れる理由が違います

上の総入れ歯は、上あごの粘膜に吸盤のように吸いつくことで安定しています。
ですから外れるときは、縁の形が合っていないか、口の乾きで吸着が落ちていることが多いのです。

下の総入れ歯には、その吸盤の働きがほとんどありません。
舌と頬に挟まれ、歯ぐきの土手の高さだけで支えられているので、もともと外れやすい宿命にあります。
下だけ安定剤が手放せないという方は、珍しくないどころか多数派です。
上下どちらで困っているかによって、歯科医院での対応も変わってきます。

粘着タイプクッションタイプ
形状クリーム・粉末・シートゴム状・粘土状
外れにくさふつう〜高いとても高い
噛み合わせへの影響小さい大きい
毎日の使用条件つきで可向かない
想定される使い方日常の補助一時的なしのぎ

使い続けると、口の中で何が起きるか

顎の骨が痩せていきます

歯を失った部分の顎の骨は、使われないことで少しずつ吸収されていきます。
総入れ歯の方では年に0.5ミリから1ミリ程度と説明されることが多く、五年も経てば入れ歯と歯ぐきの形は確実にずれます。

合わない入れ歯を安定剤で押さえて使い続けると、噛む力が一部分に集中します。
その一点に力がかかり続けた歯ぐきの下では、骨の吸収がさらに進みます。
安定剤で快適になったつもりの期間が、そのまま骨を削る期間になってしまうわけです。

噛み合わせが少しずつずれます

痛いところをかばって安定剤を厚く盛ると、そこだけ入れ歯が持ち上がります。
持ち上がった状態で噛めば、反対側や前歯に無理な力がかかります。
顎の関節に負担が出て、耳の前あたりが重だるいとおっしゃる方もいらっしゃいます。

汚れがたまり、粘膜が荒れます

安定剤は粘り気があるので、入れ歯の内面や歯ぐきに残りやすい性質があります。
残ったところは細菌の温床になり、義歯性口内炎やカンジダの原因になります。
入れ歯を外した歯ぐきが赤くなっている方は、まず洗い残しを疑ってみてください。

義歯の毎日の手入れについては、公益財団法人長寿科学振興財団の義歯の取り扱いが簡潔にまとまっていて、ご家族と共有するのにも向いています。

亜鉛入り製品の話は、今どうなっているか

かつて、粘着力を高める目的で亜鉛を配合した安定剤がありました。
過剰に使い続けると体内の銅が不足し、手足のしびれや歩きにくさなどの神経症状が出る例が海外で報告されています。
国内でも2010年に、グラクソ・スミスクラインが亜鉛を含む「新ポリグリップEX」の販売を中止し、自主回収を実施しました(薬事日報の報道)。

現在、日本の薬局で買える主な製品は亜鉛を含まないものが中心です。
とはいえ海外で購入したものや、古い在庫を使い続けているケースもあります。
気になる方は、お手元のパッケージの成分表示を一度ご確認ください。

合わない入れ歯が出しているサイン

食事のときに気づくこと

食べている途中で入れ歯が浮く、下の入れ歯が舌に押されて動く、噛むと片側だけが先に当たる。
食べ物が入れ歯の下に入り込んで、食事のたびに外して洗っている方もいらっしゃいます。
これらはどれも、入れ歯と歯ぐきの形が合っていない証拠です。

もうひとつ、静かに進む変化があります。
以前は食べられていた煮物や肉が、いつのまにか食卓から消えているというものです。
本人は「好みが変わった」と思っていても、実際には噛めないものを無意識に避けているだけ、ということがあります。
食べられるものが減っていく変化は、ご本人よりご家族のほうが先に気づくことも多いので、思い当たる方は一度食卓を振り返ってみてください。

話すとき、顔つきに出ること

サ行やタ行が言いにくくなる、話しているうちに外れそうになる、といった変化も見逃せません。
噛み合わせの高さが下がると口元にしわが寄り、唇の端が切れやすくなります。
「最近老けた気がする」という感覚が、実は入れ歯の高さの問題だったという方は珍しくありません。

歯ぐきに出ること

入れ歯を外したときの歯ぐきは、いちばん正直です。
同じ場所に繰り返し傷ができる、赤くなっている、押すと痛い。
こうした状態が続くなら、安定剤で覆う前に見てもらってください。

ただし、すべてを同じ急ぎ方で考える必要はありません。
新しい入れ歯を入れて数日の当たりや痛みは、調整で落ち着いていくのがふつうです。
一方で、二週間以上たっても同じ場所が痛む、傷が治らない、しこりのような硬いふくらみができてきた、といった変化は待たないほうがよいものです。
とくに治らない傷は、粘膜そのものの病気が隠れていることもあるので、早めに見てもらってください。

次のうち二つ以上あてはまるようなら、受診をおすすめします。

  • 安定剤なしでは入れ歯が落ちてくる
  • 使う量が半年前より増えた
  • 同じ場所に繰り返し傷ができる
  • 硬いものを避けるようになった
  • 入れ歯を作ってから五年以上たっている
  • 入れ歯を外すと顔の下半分が短く見える

歯科医院でできること

まずは調整とリライン

歯ぐきに当たって痛い部分は、その場で削って合わせられます。
歯ぐきが痩せてすき間ができている場合は、入れ歯の内面に材料を足して現在の形に合わせるリラインという処置があります。
日本補綴歯科学会は2023年に軟質リライン材によるリラインのガイドラインをまとめており、痛みが出やすい方や歯ぐきが薄い方への選択肢が整理されています。

安定剤を買い続けるより、一度リラインしたほうが結果的に安く済むことも多いのです。

作り直しという選択肢

調整やリラインで対応しきれないほど形が変わっていれば、作り直しになります。
保険で新しい入れ歯を作る場合、前回の製作から原則として六か月以上あける決まりがあります。
時期や例外の扱いは状況によって変わるので、かかりつけで確認してください。

費用を心配される方も多いのですが、保険の総入れ歯は三割負担で片あご一万円前後が目安です。
調整やリラインであれば、その何分の一かの負担で済みます。
安定剤を月に二本、三本と買い続けている方なら、数か月分の出費で入れ歯そのものが合うようになる計算になります。
自費の入れ歯は素材や構造によって数十万円になりますが、まずは保険の範囲で何ができるかを聞いてみるところからで十分です。

対応内容目安の期間
調整当たる部分を削る当日
リライン内面に材料を足して合わせる当日〜数日
リベース歯ぐきに触れる床全体を作り替える数日〜数週間
新しく製作型取りからやり直す一〜二か月

どうしても外れやすい方へ

顎の骨が大きく痩せていて、作り直しても安定しにくい方もいらっしゃいます。
その場合はインプラントを支えにして入れ歯を固定する方法もあり、下の総入れ歯で悩んでいる方には効果が出やすい治療です。
費用も外科処置も必要になるので、安定剤を使いながら考える時間をとって構いません。

安定剤と上手につきあう使い方

量は「少なすぎるかな」から

多く塗るほどよくつくというものではありません。
はみ出すほど使うと歯ぐきに残り、洗い落とすのも大変になります。
まず少なめから試して、自分にとっての適量を探してください。
クリームなら、入れ歯の内面に点々と数か所置くくらいが出発点です。

毎日、必ず落としきる

使ったその日のうちに、入れ歯用のブラシで内面をしっかりこすってください。
ぬるぬるした感触がなくなるまで洗うのが目安です。
熱いお湯は入れ歯を変形させるので、水かぬるま湯を使ってください。
歯みがき剤は研磨剤で表面に細かい傷をつけ、かえって汚れがつきやすくなるため使いません。
洗浄剤は週に二回以上を目安に併用すると、においやぬめりが残りにくくなります。
就寝時は入れ歯を外し、水か洗浄剤の中で保管します。
歯ぐきを休ませる時間をとることが、次の日の安定にもつながります。

使った様子を受診のときに伝える

一日に何回、どのくらいの量を使っているか。
どのあたりが痛くて使い始めたのか。
このふたつを伝えるだけで、歯科医師が原因を見つけるまでの時間がぐっと短くなります。
使っていることを叱られるのではないかと黙ってしまう方がいらっしゃいますが、隠されるほうがずっと困ります。

まとめ

入れ歯安定剤を毎日使うこと自体は、悪いことではありません。
問題になるのは、合っていない入れ歯を安定剤で押さえ込んだまま時間が過ぎてしまうことです。
使う量が増えてきた、同じ場所が繰り返し傷つく、食べられるものが減った。
そのどれかに心当たりがあるなら、次に薬局へ行く前に歯科医院を予約してください。

私は診療を離れて何年も経ちますが、いまだに残念に思っているのは、痩せてしまった骨は元に戻らないということです。
安定剤で今日をしのぐのはかまいません。
ただ、しのいでいる間に受診の予定を一つ入れておく。
それだけで、五年後に食べられるものはずいぶん変わってきます。