「お義母さんの歯が痛いみたいで、でも車椅子だから歯医者さんには連れていけなくて……」

私の診察室を訪れた患者さんの娘さんが、そう話してくださったのは数年前のことです。
義母さんは自宅で介護を受けており、通院は難しい状況でした。
「訪問歯科に来てもらえますか?」とお伝えすると、「お金がかかるんじゃないかと思って、ためらっていました」と言われました。

こうした場面は、私が診療を続けるなかで何度も経験してきました。
訪問歯科への需要はあるのに、費用の仕組みがわからないまま諦めてしまう方が多いのが実情です。

この記事では、訪問歯科の費用について、医療保険と介護保険の仕組みをできるだけわかりやすく整理します。
私は横浜市内で歯科クリニックを開業している歯科医師で、予防歯科とシニア層の口腔ケアを専門としています。
ご家族の介護をしながら口腔ケアをどうすればいいか悩んでいる方にも、少しでも役立てていただければ幸いです。

訪問歯科診療の基本を押さえておこう

対象になるのはどんな方か

訪問歯科診療とは、病気やケガ、身体障害などによって通院が困難な方のために、歯科医師や歯科衛生士が自宅・施設を訪問して行う診療のことです。
日本歯科医師会のサイトによれば、主な対象は「在宅療養中の高齢者や障害者、通院が医学的に困難な患者」とされています。

具体的には、次のような方が当てはまります。

  • 寝たきりで自力での通院が難しい方
  • 脳卒中の後遺症などにより身体が不自由な方
  • 認知症の症状が強く、外出が難しくなった方
  • 骨折や術後の安静が必要な方
  • 末期がんや重篤な疾患で在宅療養中の方

一つ押さえておきたいのが、「通院が困難であること」が条件であるという点です。
単に「遠くて不便」「付き添いが難しい」という理由では、保険診療としての訪問歯科を受けることができません。
通院が医学的に難しい状態にあることが求められます。

年齢制限はありませんが、現場では高齢者の方が大部分を占めています。
歯科医院からの訪問可能範囲は、原則として半径16km以内とされています。

自宅で受けられる診療の範囲

「家に来てもらっても、大した治療はできないでしょう?」とよく聞かれます。
結論からいうと、想像以上に幅広い治療が可能です。

訪問用の機器は小型化が進んでおり、虫歯を削る器具から口腔内カメラ、義歯の作製に必要な器具まで、必要なものを持参できるようになっています。

主な診療内容は以下のとおりです。

  • 虫歯の治療(削って詰める処置)
  • 歯周病の処置(歯石除去・歯肉の治療)
  • 抜歯
  • 入れ歯の新規作製・調整・修理
  • 専門的な口腔清掃(口腔ケア)
  • 嚥下(えんげ)リハビリテーション
  • 誤嚥性肺炎予防のための指導
  • 家族への口腔ケア指導

「誤嚥性肺炎の予防に口腔ケアが重要」という点は、近年の医療現場では広く認知されています。
食べたものを飲み込む力が弱まっているご高齢の方にとって、口腔内を清潔に保つことは全身状態を守ることにも直結します。
そう考えると、訪問歯科で提供されるケアの意味は、単に「歯を治す」にとどまらないのです。

私自身、在宅で口腔ケアを継続していた患者さんが、誤嚥性肺炎の入院を免れたケースを何度も見てきました。
「歯医者の仕事」の枠を超えた価値が、訪問歯科にはあると実感しています。

費用の全体像:3つの要素で成り立つ

基本の訪問料金(歯科訪問診療料)

訪問歯科の費用は、大きく3つの要素で構成されています。

まず一つ目が「歯科訪問診療料」です。
これは、歯科医師が患者さんのもとへ訪問するたびに発生する基本料金です。

2024年度(令和6年度)の診療報酬改定により、訪問先の状況によって料金が細分化されました。

区分対象点数
歯科訪問診療1同一建物に患者が1人のみ1,100点
歯科訪問診療2同一建物に2〜3人410点
歯科訪問診療3同一建物に4〜9人310点

1点=10円ですから、自宅への単独訪問であれば11,000円相当の基本料が発生し、自己負担1割の方なら1,100円が目安です。

介護施設への訪問の場合、同じ建物に複数の患者さんがいることが多く、区分2または3が適用されるため、費用は抑えられます。

治療費(処置内容によって変わる)

二つ目が「治療費」です。
実際に行った処置に対して、それぞれの点数が加算されます。

処置内容自己負担1割の目安
歯石除去(1回)約400円〜
小さな虫歯の治療約400円〜
大きな虫歯の治療約2,000〜3,000円
抜歯(1本)約300円〜
入れ歯の調整・修理約400〜4,500円
入れ歯の新規作製約500〜2,000円(複数回に分けて)

処置の内容によって幅がありますが、入れ歯の調整や歯石除去といった頻度の高い処置であれば、数百円から1,000円台に収まることが多いです。

居宅療養管理指導料(介護保険の部分)

三つ目が「居宅療養管理指導料」です。
これは介護保険が適用される指導・管理の料金で、要支援・要介護の認定を受けている方が対象です。
治療行為(医療保険)とは別に算定されます。

金額は1回あたり数百円程度と小さく見えますが、毎月繰り返し使えるサービスです。
この部分については、次の章で詳しく説明します。

医療保険で何がカバーされるか

治療行為はすべて医療保険の対象

「訪問してもらうのは自費になるの?」という疑問を多くの方から受けます。
保険診療の訪問歯科であれば、治療行為に医療保険が適用されます。

虫歯を削る、歯を抜く、入れ歯を作る、歯周病の処置をする。
こうした「疾患を治すための行為」はすべて医療保険の対象です。
外来で歯科に通う場合と基本的に同じ扱いで、保険証を使って同じ負担割合で診てもらえます。

私が患者さんのご家族によくお伝えするのは、「医院に来てもらうのと費用の仕組みは変わらない」ということです。
訪問を受けているから保険が効かないわけではありません。

自己負担割合は年齢と所得で変わる

医療保険の自己負担割合は、年齢と所得によって異なります。

区分自己負担割合
75歳以上(後期高齢者医療)原則1割 ※現役並み所得の方は3割
70〜74歳2割 ※現役並み所得の方は3割
69歳以下の一般3割
障害者認定・生活保護受給者各市町村の減免基準による

75歳以上の方は原則1割負担なので、費用の負担感は比較的軽くなります。
また、高額療養費制度も適用されますので、月の医療費が一定額を超えた場合には還付を受けることができます。

「費用が心配で受診を先送りにしていた」という方に費用の仕組みをお伝えすると、「思ったより安いんですね」と言っていただけることが多いです。
不安を抱えたままより、一度仕組みを整理してみることをおすすめします。

また、高額療養費制度は自動的には適用されない場合があります。
申請が必要なケースもあるため、加入している健康保険の窓口(市区町村の後期高齢者医療担当課など)に確認しておくと安心です。

介護保険が使える「居宅療養管理指導」

治療と指導では使う保険が違う

訪問歯科の費用でもっともわかりにくいのが、この「どちらの保険を使うか」という部分かもしれません。

結論をひとことでいうと、「治療」は医療保険、「指導・管理」は介護保険です。

虫歯を削ったり入れ歯を直したりする治療行為は医療保険の対象です。
一方、口腔ケアの方法を教えたり、家族へのケア指導をしたり、療養上の注意点を伝えたりする「指導・管理」は、介護保険の「居宅療養管理指導」として算定します。

居宅療養管理指導は介護保険法上のサービスの一つで、要支援または要介護の認定を受けている方が対象です。

算定できる回数と費用の目安

居宅療養管理指導には、月に算定できる回数の上限があります。

訪問する職種月の上限回数1回あたりの費用(1割負担)
歯科医師月2回約500円前後(人数・施設区分で変動)
歯科衛生士月4回約360円前後(人数・施設区分で変動)

金額自体は決して大きくはありませんが、毎月繰り返し使えるサービスです。
治療が落ち着いた後も、歯科衛生士が定期的にケアのフォローに来てくれることで、口腔状態を維持できます。

介護保険の「区分支給限度額」には含まれない

大切なポイントをお伝えします。
居宅療養管理指導は、介護保険の「区分支給限度額」(毎月使えるサービスの上限額)とは別枠です。

つまり、訪問介護やデイサービスなど他の介護サービスを上限いっぱいに使っていても、居宅療養管理指導を受けることができます。
「もう介護保険の枠が埋まっているから歯科ケアはあきらめよう」と思う必要はないのです。

日本訪問歯科協会の患者向けQ&Aにも、こうした保険の仕組みが詳しく掲載されています。
ケアマネジャーや担当医師と連携することで、よりスムーズに使えます。

医療保険と介護保険、同時に使う場合の実例

「で、実際に1回の訪問でいくらかかるの?」という疑問に、具体的なケースで答えてみます。


ケース1:75歳の一人暮らし女性、要介護2、1割負担

入れ歯の調子が悪いため、自宅に歯科医師が訪問しました。
歯科訪問診療料(同一建物1人)と入れ歯調整が医療保険で算定され、同じ訪問のなかで歯科医師による療養指導(居宅療養管理指導)も実施しました。

この場合の自己負担の目安は、医療保険分で約1,500〜2,000円、介護保険分で約500円前後の合計です。
1回の訪問でおよそ2,000〜2,500円程度を想定してください。


ケース2:80歳の男性、有料老人ホーム入居、後期高齢者・1割負担

施設内に複数の患者さんがおり、同じ日に3人を診察しました。
この場合は歯科訪問診療2(同一建物2〜3人)が適用され、基本料金が抑えられます。
虫歯の処置と口腔状態の確認後、翌週は歯科衛生士が専門的な口腔清掃で訪問します。

医療保険分の自己負担(治療費込み)で約1,500円前後、歯科衛生士による居宅療養管理指導で約360円前後が別途かかります。


どちらも1割負担の前提ですが、1回あたり2,000〜3,000円台に収まるイメージです。
もちろん、複雑な処置が必要な場合や入れ歯を新たに作製する場合は、費用と回数が変わります。
具体的な金額が知りたい場合は、訪問を担当する歯科医院に相談するのが確実です。

なお、入れ歯の新規作製は複数回の訪問が必要です。
型取り、試適、完成品の装着調整と段階的に進みますので、1〜2か月かかることもあります。
総義歯(総入れ歯)と部分義歯では費用も異なるため、あらかじめ見積もりを出してもらうことをおすすめします。

受診前に確認しておきたいポイント

初めて訪問歯科を利用するときに、事前に整理しておくと話がスムーズになります。

  • 利用する本人の医療保険の自己負担割合(1割・2割・3割)の確認
  • 要支援・要介護の認定を受けているか(介護保険証の有無)
  • 担当ケアマネジャーがいる場合は、訪問歯科の利用希望を伝える
  • 訪問してもらう歯科医院の交通費・出張費の扱い(別途請求か否か)
  • 自宅または施設の住所と、近隣で対応している歯科医院の確認

ケアマネジャーがいる場合は、歯科との連携をお願いするとスムーズです。
ケアマネジャーを通じて訪問歯科を紹介してもらえることもあります。

問い合わせの際には、患者さんの状況(通院が困難な理由、要介護の有無、現在の口腔の状態)を可能な範囲で伝えると、医院側も見積もりや説明がしやすくなります。

まとめ

訪問歯科の費用と保険の関係を整理すると、次のようになります。

  • 治療行為(虫歯・入れ歯・歯周病など)は医療保険が適用される
  • 指導・管理(口腔ケア指導・家族への説明など)は、要介護・要支援の方なら介護保険(居宅療養管理指導)が使える
  • 医療保険と介護保険は、1回の訪問で同時に使うケースがある
  • 介護保険の居宅療養管理指導は区分支給限度額の外枠なので、他の介護サービスを圧迫しない
  • 自己負担1割の場合、1回の訪問でおよそ2,000〜3,000円が目安

「通院できなくなったら、歯は諦めるしかない」と思っている方が、まだ多くいらっしゃいます。
でも実際には、訪問歯科という選択肢があります。
費用の不安があるなら、まず近くの歯科医院や担当のケアマネジャーに相談してみてください。

歯の健康は、食べることの喜び、会話の楽しみ、そして全身の健康につながっています。
その選択肢を閉じてしまうのは、とても惜しいことだと思っています。